絵描きになった理由

こんにちわ。

私は主にアクリル絵の具で創造の世界を描いている画家です。

ただの会社員だった私が、絵描きになってクリエイティビティの追求を深めていった理由を書きました。

目次

捨てたい自分

子供の頃は忍者になりたくて、いつも自然の中で忍者の修行に明け暮れる毎日を過ごしていました。
そのときに想像していた大人の世界は

自由で、冒険に満ちていて、やりたいことをどんどん見つけて、キラキラ生き生きとして生きている世界を想像していました。


だけど、どうも何か違う

大人になって、やっていることって、当たり前に与えられた仕事、というか役割みたいなもののなかで、制限のある中で”自由”を選んでいるようで、まるで本物とは言えない。


こうありたい。
と素直に願えば、ことごとく周囲からの白い目と、無理でしょ、って言葉
それに圧力も感じてた。少しずつ本当の自分をやめて周りに合わせるようになっていきました。
それでもどうにか満足な世界を作ろうと、人道的ではありませんが無理して満足する仮世界を作ってみてはいたけどコテンパチンパです。
自分も周りも不幸にします。


学校や社会、常識の中で成長していくと、社会に同調しなければならない、普通であるべき、人は我慢するものと刷り込まれて思いこんでいる中では、本来人が持っている自由で創造的な発想も窮屈に押し込まれて、かろうじて出てきたものは、利益のために歪めてしまっていたり、見栄のため、虚栄のために使われて、人の本来持っている力は、不安全燃焼で害が出る
ということがわかりました。

曖昧に生きてしまうことや、ごまかして生きること
簡単に人を傷つけること
何が良くて、悪いのか、”考える”こともしないか、自己中心的。

社会の固定観念に縛られた不自由な心は、本当の心と並走して存在しているようでした。

私はその縛られた心を捨てたいと考えていました。

もっと好奇心に自由にアクセスして、探求して
人に優しく、人と楽しくいることが本当に生きた生き方だと真の芯が教えてくれました。


カオスから見えたもの

社会の固定観念に縛られたままの心を持ったまま何年も経ち
時にして2021年、世はコロナという前代未聞の恐怖に晒されて
緊急事態宣言が敷かれ、他県に行くこともままならない、スーパー行くにも命懸けみたいな
映画みたいな非日常がやってきた。

私の家族にも、コロナ禍の社会的不安とストレスも重なって、不調が起き始めて
社会との切り離しをきっかけに、人と人との繋がりの形が変わって、それが引き金となりひきこもりになる家族、
自殺したいと言い出す家族を目の当たりにして
日常が、バラバラと崩れていく

さすがの根っからスーパーミラクルポジティブの私でさえ(しつこい笑)不安と焦りを感じた世界になりました。

ぐつぐつとよくわからない環境に陥り、寝ても覚めても舵が効かない。
どう光を差していいかわかならい、完全に暗闇を彷徨うどん底と思われるところまで落ちた時

山で道に迷った時に、陽が落ちて目の前が真っ暗、そうなると瞳孔開いて小さな光も拾い集めますよね
実際なかなかそおいう状況になる人も少ないかもしれませんが笑

同じようなことが、人生でも起こるんですよ。
山の中では瞳孔が開きますが、人生の暗闇では第三の目が開く。

だからといって、人生の暗闇に落ちたほうがいいですよ、ということではありません。
良くも悪くも私の家族は暗ピンチに陥るという出来事があったおかげで、
大切な家族、関わる人すべてが辛くあってはいけないんだ。という強い思いを知ることができましたし、

そこから全員脱する、

という決意も、私の強いエネルギーとなっていきました。

さらには、それが叶ったとき、同じように辛く苦しい思いをしている人がいればその人を助ける力にもなろう。
という、これは根っからのスーパーもったいない症(みんなでエネルギー使ったほうがもったいなくないよね論)が発動して
私の思いの強さも増していったのです。



そして、私の思いも通じて、そこからたくさんの人や出来事や本との出会いで、

自分の世界は自分で作っているということ
誰のものでもないこと、自分のものでもないこと
ありのままでいること、人は人との間で成長して、そこには道徳があるということ


まずは、人間の部分の修正、(それを人は修行とよぶのかも)をガシガシに進めていくのです。


ここまでお世話になった方々や本〜
不登校研究をしている赤沼医院の赤沼先生
アドラー心理学の岸見一郎先生
歴代の哲学者たち
には心から感謝しています

全ての突破口。すごい言葉

いよいよ、絵描きになる入り口まで来ました。
もう少しだけお付き合いください。
絵を描くきっかけになった大事な言葉の紹介です

なぜ出会えたのか、今考えてもあり得ない縁で、将来人のため世のためになる人間になれよ!と言わんばかりのラッキーチャンスを神様から与えてもらいました。

それは、昭和時代に一世を風靡し、多くの歌を世に送り、ドラマに出演し映画監督、俳優、作家、そしてたくさんの人を魅了させ、何人もの大女優さんを輩出したプロデューサーでもある超カリスマ的存在のI.A先生との出会い。

迷える子羊状態の私に伝えてくれたことは、『まずはやりたいことをやってみなさい』

という言葉でした。

やりたいことをとことんやってみる、そうするとそこで繋がる人ができてくる、そしてその人たちを大事にしなさい。という基本のき。です。



その当初、私の頭の中はこうなっていました。

先生『まずはやりたいことをやってみなさい』
私 ん?やりたいことをやってもいいの?


一般的に、やりたいことをやる=悪の感情が伴う場合がある
まさに固定概念にやられている頭ならではのお手本回答でした。

女だから、とか主婦だから、とか、結婚してるから、とかでやってみたいことを、本音を言えず誤魔化してしまうんです。
こうしたい。と心が思っているのにそれを誤魔化して、
頭で考えなてしまって心で思うことをおざなりにしているんですよね。



質問です。あなたのやりたいことはなんですか?


この質問に、ぱっと答えられる人は純粋な心をお持ちなのでしょう。ずっとそのままでいてください。
そして、もしもその思いに迷いがあっても、まずはやってみる。ということがとても大切です。
はじめるには遅いし、やってみたいけど難しそうだし、本当はやってみたいけど〇〇だし、
その頭で考えている言い訳ひとつひとつが”本当のあなた”から遠ざけています

やりたいことをやってみる。

これは全人類、老若男女、全生命のスタートライン。

やりたいことをやってみる。

これは今、もしもあなたが何か抱えていて、苦しい思いをしているなら道を開いていく為の大きなきっかけです。

今日が残りの人生の最初の日。後悔とは、やりたかったけどやらなかったことで生まれる感情だとwikiに書いてありました。

絵を描くこと

私は、わくわくして何かで表現して人を楽しませること、嬉しそうにすることが大好き。

創造したい。
心や頭で浮かんだものを写したい。

原始的ではありますが、今絵を描いているのはこの原理に他なりません。

絵を描くことは二的で、その元にあるものと融合して創造していきたいのです。
その元は”在る”もの。
具体的には、自然、宇宙、人、目に見えるもの見えないものに隔たれないもの。


前置きがあんなに長かったのに、最後が超シンプルになりました。
ゴチャゴチャ考えているわけではなく、シンプルにやりたいことを違和感なくやっているということなのです。


ここまで読んでもらった通り、
固定概念ガチガチ人生→コロナと家族の暗黒が転機→覚醒して絵描き
と、まぁよくあるパターンではあります。

ただ、お伝えしたとおり、好きなことを好きだとやりたいことをやるんだ、と行動することは固定概念が協力ブロックをして簡単でない場合があります。本物の生き方をするためにも、まずはやりたいことをやってみる。という行動をぜひ起こしてみてください。

おまけ

創造から写し絵、表現するときに、フロー体験が伴います。
人間の脳ではいろんなホルモンや伝達物質を生成して多幸感をもたらすなど人の心理・行動に影響を与えていますが
そのフロー体験についても、チクセンントミ・ハイから学び、理解を深めました。

その派生から、脳内ホルモンの生成についても文献を集めて、人間が自らの意思で作り出すことができる、ということも学びと実践で習得しました。
コレには”集中力”と、”想像力”がかなり重要になってきます。

そして、人が絵を見て癒されたり、楽しむことにはどんな心理が働くのか、ということを知りたくて上級心理セラピスト、チャイルド心理セラピスト、カラーセラピスト、を学びました。
そこからの学びも広がり、結局心理学の面では初期仏教から、古神道、心身術、タオ、老子、から心理学(哲学とも言えるべきか)を学び、それぞれの中核となる部分がなんだろう、と探究し続けています。
実践では山修行を通して、自然からの学びも大きな気づきになってます。

絵の原理になる“在る”を広い感覚で味わうために、地球を旅してパワースポットに出向き体現。現地のアートや知恵も教えてもらってアート表現の幅を広げています。
南アフリカケープタウン、セダーバーグブッシュマンの壁画、ハワイ島キラウエア火山、など
観光では行かないような秘境、パワースポットへ、も案内もしたいもんです。












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