絵描きになった理由

こんにちわ。
管理人のアイキチです。
ただの会社員だった私が、どん底まで行ってわかった、なぜ今絵描きになり、クリエイティビティを追究していくことになったのかをご紹介したいと思います。
少し長いお話になりますが、後半ほとんどの日本人が共感する内容も含まれていますので、どうぞ最後までよろしくお願いします。

目次

はじまり

関東平野で生まれ、シングル家庭の貧乏育ち。
子供の頃は忍者になるつもりで竹藪や工事現場に忍び込み修行の毎日。
子分を連れまわし、友達親戚からは『おてんば』と呼ばれ
何でも知りたい、何でもやってみたい、
そんなじっとしていない子供でした。
母からは「あなたは絵の才能がある」と50色入りの色鉛筆を授けてくれた。
描いては喜ばれ、描いては喜ばれる。
私は表現することで人を喜ばすことができることを、子供時代に学んだ。

少し変わっているところといえば、死んだらどんな世界が見えるのか知りたいと、家の物入れに保管されていた”誤飲注意、保管に注意すること”と書かれた農薬を飲んで、あの世に行くことを試してみたことも。
もちろん死ぬつもりではなく、一目あの世の入り口を見たら帰ってくるつもりの量で、ペロリと茶色の薬瓶に入った薬を口にしたことを覚えている。
とても苦かった。
この時臨死体験も仮死体験もその時はできずに未遂の未遂に終わる。
あの世とこの世の狭間体験については、20代の頃に経験することになるが、その話については別で話そうと思う。

小学3年生の頃に、連続少女誘拐殺害事件を宮崎勤が起こし逮捕起訴され死刑が判決された。

その時に、『死刑』という言葉に強烈な否定感があり、どうして人間が人間の死を決められるのか?
と大きな疑問を持ち、死を人が決めてはいけないことを作文用紙だったかノートだったかにつらつらと書き綴ったことがある。
もちろん同世代の女の子が命を奪われたことにも強烈な心の抉れが生じてもいた。

生とは?死とは?人間とは?
を真剣に考えているような変わった子供だったように思う。

母はシングルで性格が明るくて容姿が綺麗なこともあり、よくモテていたが、男を見る目がないところもあった。
ある時に関西弁の暴力男と付き合い、目の前でDVが行われ、母を庇うためにその男と戦った覚えがある。
勝気な私は勝つつもりで挑んだが、無力さを暴力と言葉の暴力で知った。
間も無くして、その男はいなくなった。

私はおてんばなところが気に入られて友達は多かったが、転校し中学生時代にはだんだんと周りとずれ出していた。
学校が始まる登校前や放課後では、校舎全体を使った”ドロケイ”や、その頃に流行っていた”あるないクイズ”を中心になって盛り上げていたけど、
気づくと、昼休みだというのに一緒に過ごす友達がいない。
女子たちはグループを作り人の噂話や男の子の話でもちきりだ。
こおいうのはどうも馴染めないので、交わらずにその代わりによく人間観察をしていた。

勉強は好きで、ほとんどの友達が塾に通う中、自力の勉強で成績は悪くなかった。
高校受験では、母一人の稼ぎで2人の子供を育てている家庭では、私立を選ぶなんて選択はなかったし、行きたい公立高校はバスを利用するので通学費が高い、選んだのは通学費のかからない偏差値50の普通の学校。

その先の進学もないのに学校に通う意味がわからなくなり、
高校の3年間は自由気ままに過ごしていたので
母にも学校の先生にも迷惑心配をかけた。
目的を持たずにただ流される3年間で得られたものは、何もない。
何もないことに気づけたことは最大の学びだ。
人は、目的(方向性)を持つことが、生きる上でとても大事なのだ。
それを10代で学んだ。

次に学びとなるのが結婚生活だ。
23歳の時に一回り年上の男性と結婚した。
それまで付き合った男性よりも、一緒にできる経験が豊富だった。

幸せな家庭を作ろう。
と当たり前のように胸に抱いていた。

しかしそうは問屋が卸さない。

日本で結婚したことのある女性なら、多くの人が経験しているのではないだろうか
結婚制度奴隷制度
日本で結婚したことのある男性なら、多くの人が経験しているのではないだろうか
結婚制度は詐欺制度
日本で子育てしたことのある人なら、多くの人が経験しているのではないだろうか
子育てって、どうやるのどうしたらいいのってさ。

長い間人間は人間を営みを続けてきているというのに
今、みんな悩んでいるのだ。
どうやって人間を営めばいいのか・・・?と。

こうじゃなきゃいけない。
こうあるべき、というパッケージ化が世の中にされていて
『今ここ自由主義』という一見生きやすい時代の背景では、どうしようもない生きづらさ、空虚さを抱えた世の中になっている。
生きる力を奪われた者
考える力を奪われた者
労働という奴隷
情報にコントロールされたモルモット

幸せな家庭を作りたい。

こんな誰もが持つ夢、当たり前の目標も、
簡単にはいかないのだ。

対外的、表面的ではうまくいっているように見える家庭でも、
中が空洞になっている。

本物を求めると、
それは非常識になる。

社会は偽物で出来ているから、
偽物社会の中で、本物は非常識なのだ。

偽物の世界が心地のいい人もいる、むしろその方が多いし、
空っぽであることに気づくこともなく、あまりに本物から遠ざかり偽物が本物に成り上がっている。
偽物に違和感を感じ、声を上げることができなければ、
この世は苦しいものになる。
生きづらくなる。

同じことが勤めた会社でも感じた。
私たちは知らない間に生きづらい社会を作ってしまっている。

そして生きづらい世界を誤魔化すために、
弱いものをいじめるものもいるだろう
ギャンブルに走る者もいるだろう
無駄に大金を使うものもいるだろう
浮気をする者もいるだろう
引きこもる者もいるだろう
犯罪を犯すものもいるだろう
薬物に手を出すものもいるだろう
何かに依存し自らの足で立つことをやめるものもいるだろう
人のものを盗るものもいるだろう
自分自身を傷つけるものもいるだろう

本当の心で生きているのか?
偽りの自分で生きていないか?
偽物を作り出していないか?

偽物の社会を作ったのは、誰でもない、私たちなのだ。

誤魔化して生きることは辛いことなのである。

結婚して家庭を持ち、社会で私はこのことを学んだ。

生きること、死ぬこと、人間の営みとは?
今、心から『人間とは?』を学んでいる。

母から授けられた絵を描くための色鉛筆、私は絵を学んだ。

私の周りで苦しみや苦しむ人が多くなったときに、
人との繋がりやご縁から、私はもう一度絵を描き始めることになる。
それは眠っていた何かが目覚めたような、そんな感覚だった。
目の前で色が溢れて形となっていくアート、
2次元に表現される多次元は、次元が歪み潜在意識と繋がり光明を見ることができる。
偽りのある顕在意識に、ひと針の針穴を開けるような力がアートにはある。
潜在意識から光を呼び戻すことは人の助けになることを確信している。

好きで絵を描いているのは確かだ。
でも、今描いているものには、小さい頃からの人生の流れと道の上に必要があって描いている。
使命感でもなく、人生の暗楽を経験したからこそ人生の一部に統合された活動となった





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