心の交流がない所に人が集まる場所では、居心地が悪く疲れることがありませんか?


誰かと心を通わすことは、とてもとても大事なことなんだ。それは、車にガソリンが必要なのと同じくらい動力の元になる。


そして、心には扉があって、扉が開いていることで、エネルギー交流ができ、それが動力となって心が満たされる。

その扉が閉まっている人との交流は叶わない。
話していても、何か満たされない場合は、扉は開いておらず、インターホン越しで話している状態なんだから、余計な寂しさや虚しさが生まれてくる。

よく、カップルや夫婦がだんだんとうまくいかなくなっていくことは、これがひとつの原因だろうと思う。

ところで、閉まっている扉を無理に開くことは叶わない、扉の鍵とドアノブは内側にしかついていないからだ。

相手に、内側から扉を開きたくなるようにするのがこちらの役目だが、あまりに頑固に開かない扉が目の前にあると、疲れてしまうことがある。

さて、扉が閉まっている人がどうしたら扉を開けさせることができるか、それは古事記にも書かれている。

岩戸に隠れた天照を岩の扉を開けるために、神々は神楽をした。

現代風に言えば、楽しんでいる姿をみせ、美味しいものを用意し、美しい姿(心の扉が開放されている姿)を披露する

岩戸に隠れている本人が、ひねくれたりせず、純粋にそれを見たい、楽しみたいと思う心をもっていることが大事だが、本来人は、楽しむために生まれてきたんだから、そうできるはずなんだけど、今の世界を見渡すと、偽物ばかり嘘ばかりで本物に出会うことが難しくなっている上、岩戸に入ってすっかり心を固くなりすぎて、うんともすんとも、という状態のものも少なくない。

この世はゲーム✨開かない扉が開くたび、そこからは想像もできないような宝物が出てくるようになっている。

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