人の色
というものがある。
”その人”から生まれてくる、その人を表すような色だ。
アドラーは提言した。
その人の”立ち方”に、その人の”どうありたいか”が現れるそうだ。
例えば、立っていてもどこかに寄りかかって立つような人ならば、生き方も誰かに頼って生きていくような人であり、背筋をピンと伸ばしてまっすぐに立っているのであれば、やはりその人の生き方に沿った立ち方になっている、ということになる。
人は無意識に人からどう見られたいか、と言うより、どう周りの人に考えてもらおうかを自然に発信している。
鬱や赤面症でさえ、自分で選択してなっているというのだから、その病気になることで人に自分を世話するように方向付けるわけだ。
人の在り様とは、なんとも面白い。
『人の色』はどうか?
自分で決めているものなのか?
もちろんそうであろう。
良い悪いではなく、その人をつくりだすような色を感じる時、心の奥底がジリジリしてなんとも言えない気持ちになる。
当たり前に皆違う色をしているが、その本質の色が見えたときに心の奥と奥でつながる何かを感じるのだ。
ピンと背筋を伸ばして立っていても、きらきらして見える奥にくすんだ影が見えることもあるし、死んだように横たわる人から、褐色のどろどろの奥に澄んだような色が見えてくることもある
面白いなぁ
自分で色を決めていくことは、心の奥底から決めてこそ表に出てくる。
要するに、全ては潜在意識が決めたものを認め表に出していく。
さぁ、あなたは何色を注文しよう
ところで、身近ですごい色をした人を知っている。
馬頭星雲のような色と景色に似ている色だ。
圧倒的な美しさと深さで足元がすくわれるようで、美しさに身震いをすることもあるんだなと感動したことがある。
