言葉が過ちだという人がいた。
それなら人はどうして言葉に頼るのか?
言葉はカタチを与えるから、言葉は移ろいやすい気持ちや、計り知れない、現実にカタチを与え、その形をいくつも組み合わせることで、流れ去る記憶をまとめたり、まだ見ぬ未来に思いを巡らす力を与えた。
人はもし言葉に出会わなければ、こんな風に考えることさえできなかったかも知れない。
言葉が考えを・・・
だけど人は言葉の力に夢中になるあまり、言葉を記す文字さえも駆使し、過ぎ去った時を長く書きとどめ、言葉に囚われ、今を生きる事を忘れた。
そう、今を忘れ、自分の言葉を話す人間以外、天高く舞う鳥や、野に咲く花や、森や海、目に見えぬそよ風に言葉にならぬささやきを忘れていった。
忘れたのは、鳥のささやきばかりじゃない、人間同士だって同じ言葉を話す人同士だって気持ちがばらばら。
でも、やむを得ない。
言葉は分けるのが仕事だから。
私があなたの名を呼ぶ時に、あなたが私の名を呼ぶ時に、ふたつの名前はあなたと私を遠く離れ離れに分けていく、
人間とは不自由なものだ口先だけでなく、頭の中の言葉にとらわれて、言葉をかさねればかさねるほど誤解と過ちを重ねていく
ならどうして人は言葉に頼るの?
さびしいのかもしれない、独りぼっちがさびしくて誰かに自分をわかってもらいたくて言葉を。。。
でも、どんなにたくさん人がいても、どんなにそばにいてくくれたとしても、心が伝わらない方がずっとずっとさみしいのに