怒りの感情について、考える機会がありました。
仕事のやらなきゃいけないことの多さ&効率の悪いシステムに、時間外労働も積み重なったところでイラっとしたのをきっかけに、怒りの蓋があいてしまい、そこから蓋を閉めうことができずに噴火の如く怒り感情に包まれて、背中から黒〜い炎を吹き上げながらPC作業をしていました。
滅多に怒り自体と対面することがないので、収まってから分析してみました。
普段は瞑想を利用して感情とか思考から離れる機会を作って、コントロールされない訓練をしてみてはいるものの、感情の性質によっては離れづらいもの、軽く心から離すことができるものがあるなぁと考えていて、
今回の怒りについては、全然離れないどころかひっつき虫でした。抑えるには、やっていることを中断して離れて、転換すればいいだけなのに、それをせずに、その怒から離れないで自分で増幅しているんです。
それでは自分が火傷しますし、心も汚すというのに。
日頃の訓練も効果ゼロ
このことから考えると、人は理解しているのに止めることができない、自分を傷つけることを好む被虐性の極を持っているなぁということを気づきました。
もう少し考えてみると、好むように作られているというのはトリックで、そこに騙されないように、心を律して、毒だと見抜いて、まんまと心を汚さないようにすることが成長だ、というところまで考えたところです。
それにしても、怒りのエネルギーは半端なく大きいですね
せっかくのエネルギーをそっちに使って本当にもったいないと思いました。
良いエネルギーとして使いたいものです
ということで、明日はひとつ良い方向でエネルギーを使ってきます
peaceful 観察者タマゴちゃんチャリティー缶バッジがまだ在庫が少しあるので、明日は友達が施設で講座を開くのでそこで時間をほんの少しいただいて、平和活動してきます!
少しでも関心を持ってもらって、明日出会える人と、平和であるようにって心に願いたいなぁと思います^^